小中学生の不登校がめちゃくちゃ増えてる件

近年、不登校児童の数がうなぎ上りに増えていることはご存じでしょうか。

2012年までゆるやかに下落傾向だった不登校児の数は、ここ2~3年でハネ返って増加し、20万人に届く勢いです。少子化により日本の子どもの数は40年間減少し続けてますから、相対的な割合はかなりのものです。

中学生だけで言えば約4%、つまり25人に1人が不登校というのが現実です。クラスに1人以上不登校がいる、と考えるとその多さに驚くのではないでしょうか。

ちなみに、ここで言う不登校というのは『肉体的には健康だが学校に行かない』という状態を指し、コロナや傷病での長期療養で『通いたくても通えない』という状態の子どもは除いています。それらを含むと余裕で20万人超えます。

学校に行かない理由

日本財団は、1年間に30日以上学校を休んだことがある/休んでいる中学生に対して『行きたくない理由』 を調査しました。結果は以下の通りです。(複数回答可)

調査項目調査結果(%)
朝、起きられない59.5%
疲れる58.2%
学校に行こうとすると、体調が悪くなる52.9%
授業がよくわからない・ついていけない49.9%
学校は居心地が悪い46.1%
友達とうまくいかない46.1%
自分でもよくわからない44.0%
学校に行く意味がわからない42.9%
先生とうまくいかない/頼れない38.0%
小学校の時と比べて、良い成績が取れない33.9%

大きく分けて体調の問題と対人関係に二分されていますね。「先生とうまくいかない・頼れない」という回答が4割もあるのは特筆すべき点だと思います。

信州大学教育学部の川島一夫は不登校に至る原因として、強化と罰の要素を取り上げました。ここで言う罰というのは一般的な意味の罰ではなく、嫌悪に近い意味合いです。行動心理学用語ですね。

例えば学校に行けば周りにイジメられる、といった事態は学校内環境での罰を意味し、不登校に繋がります。逆に家にいると両親から虐待を受ける、といった事態は学校外環境での罰を意味し、登校に繋がります。学校に逃げるというニュアンスですね。川島の分類によると下記のようになります。

引用元:不登校児は、なぜ学校に行かれないのか Ⅲ(2017)

不登校児が各種のアンケートに対してどれだけ正直に回答しているかは不透明ですが、日本財団の調査をもとにこの分類を当てはめると、増加傾向にあるのは⑥か⑧なのではないかな、と予想されます。

原因考察① コロナ禍

2~3年前から不登校児が増加している、と考えると真っ先に思いつくのはコロナですね。

コロナの脅威によって登校を自粛したり、生活に制限がかかるケースが増大しました。

例えば、給食の時は黙食しなければならなかったり、休み時間も大勢で遊ぶのは禁止されたり。これでは学校がつまらないと感じるのも仕方がないことですね。

もともと、引きこもりがちだった児童に対して『学校に行くのを自粛せよ』という指令が国から出されてしまったワケで、これでは不登校も増えるのは必然です。

原因考察② 教員の質の低下

先述した日本財団の調査では、『先生とうまくいかない/頼れない』を不登校の理由とする中学生が4割にものぼることが分かりました。

本来、生徒をサポートし、心身を健康に保つ為の責任を担う教員に対し、不信感を持っている児童が多いのは問題です。なぜこのようなことになっているのでしょうか。これは一重に、教員の質の低下が関わってくると思います。

近年、小学校や中学校の現場では、教師不足、講師不足が深刻です。文部科学省の調査では、全国で約2000人ほど教員の数が足らず、穴埋めとして産休中の教員が復帰して授業を行ったり、専門外の教員が授業を行ったりしているそうです。(例えば体育教師が数学の授業を行うみたいな、ね)

例として、去年の福岡県の教員採用試験を見てみましょう。

いかがでしょうか。いずれもかなり低い競争率であることが分かります。

例えば中学校の技術科教師は採用予定枠14人に対して応募者は16人。もう応募さえすればほとんど全員合格するみたいな感じです。もちろん一定の試験はパスする必要がありますが、教員という職業自体が非常に人気がないことが分かります。

これの原因は教師=ブラックという認識が一般的になってしまっている為だと予想されます。

文部科学省が2021年3月、学校の働き方改革や新しい教育実践の事例を共有する為『#教師のバトン』というプロジェクトをツイッターで始めましたが、当初の目的から逸脱して次々とブラックな労働環境の様態が明かされ、社会問題になりました。

教員採用試験に落ちた人まで常勤講師として雇われているというのは驚愕の事実ですよね。これでは試験が『フルイ』の役割を果たしているとは言えず、適正がないダメ教師が増加しているのではないかと思えてしまいます。

その証拠に、例えば児童へのわいせつ行為で懲戒免職になった教員は、2019年に273人と非常に多い数をマークし、文部科学省も頭を抱える事態になりました。2020年には200人程度まで減りましたが、それでも依然として『変態教師』がまん延しているのが事実です。そんなのがいる学校には行きたくないですよね。

教員はもはや気高い理想を持つ聖職ではなく、ギリギリ教育学部を卒業した底辺の集まりになりつつあるのです。

引用元:http://miraclemilk.blog.jp/archives/10109279.html

原因考察③ 貧困

不登校と貧困を関連づけて考察する試みは過去にいくつか存在します。何故かというと、文部科学省はそもそも『不登校』を以下のように定義しています。

何らかの心理的,情緒的,身体的あるいは社会的要因・背景により,児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況である(ただし,病気や経済的な理由によるものを除く

つまり、家が貧しくて養育費が出せなかったり、子供が働かざるをえない家庭は『不登校』とは別のカテゴリで扱われているのです。

しかし2000年代以降、シングルマザー家庭などが増加したことにより『子どもの貧困』が広く社会に認知されるようになりました。

給食費が払えない、体操着が買えない、子どもが非行に走っても咎める親がいない、といった理由で不登校と間接的に関係している部分は少なからずあると思います。つまり『見えない不登校』です。

教育心理学者である千葉大学の保坂亨は、不登校児の研究の中で怠学傾向のある者と神経症的傾向のある者とを区別し実態を調査しました。つまり、イジメなどが原因で不登校に陥っている生徒と、単に勉強がイヤでサボっている生徒を分別したんですね。

すると、怠学傾向にある生徒はその多くが『家庭内の問題』を抱えていることが分かったのです。

「そもそも家庭の養育能力に問題があって,学校に行くための前提ともいうべき環境が整っていないようなケースが相当数存在する」

引用元:脱落型不登校(2020)

また他の研究でも、貧困層の子どもの特徴としては次のようなことが指摘されています。

  • 不登校やいじめを経験する確率が高く,友達の数も少なく,学校にあまり楽しんで通っていない。
  • 低学力傾向にあり,その原因としては,長期に渡る不登校や,塾や家庭教師を利用していないこと,住宅の構造上勉強しにくいこと,学校に来ても授業に集中できない場合が多いこと,小学校早期の段階から家庭学習時間がほとんどないこと,親の教育アスピレーションの低さ,子ども自身の学習意欲の低さなどが挙げられる。
  • 経済的基盤や学力不足によって選択できる進路が限られ,自分の将来展望を明確に描くことの困難に直面し,低学歴のままフリーターや「中卒ブラブラ族」になる可能性が高い。

こういった問題に対して、大阪大学の志水宏吉は以下のようにコメントしています。

日本の教師には「課題を抱えた子はたくさんいるため,特定の子を特別に扱うことはできないし,すべきでもない」という認識が共通してあり,子どもたちが学校に持ち込んでくる家庭背景や成育歴に由来する「異質性」を極力排除し,彼らを学校や学級といった同一集団の一員として扱おうとする傾向が強い。

その結果,彼らが家庭や学校で課題や困難を抱えたとしても,集団固有の問題としては考えられず,彼ら自身のあるいは彼らの家族の問題として「個人化」されるという。そのため,日本の学校現場においては,明らかな異質性を有しているニューカマーの子どもであっても「見えにくい」存在となる。

引用元;『高校を生きるニューカマー―大阪府立高校にみる教育支援』(明石書店、2008年)

すなわち、心の問題を抱える生徒は学校側でケアしなければならないけど、授業をサボる生徒は自己責任。参考書を買うお金がないとか、塾に行くヒマがないとかはそれぞれの家庭で解決して下さい、というスタンスですね。

不良だった私の思い出

ところで話の流れをぶった切りますけど、私も高校生の時、怠学極まって一年近く不登校だった時期がありました。でもその時、化学担当の金田先生という方が親身になって下さって復学した経緯があります。この場を借りてお礼を言います。ありがとう金田先生!

さて、話を戻します。ええとなんでしたっけ。貧乏な子どもは落ちこぼれになりやすいという話でしたね。

宮崎大学の盛満弥生は貧困層である生活保護受給家庭の子どもたちを実際に観察し、以下のような事態が起きていたことをレポートしています。

C君の家は母子家庭であり,小5と3歳の妹がいる。中学入学当初から学校に来たり来なかったりが続き,C君が登校しだすと今度は妹が休みだすという状況であった。職員室では「母親の目が3人の子ども全員に行き届くのは難しいのかな」という会話がなされていた。

C君や妹の不登校の背景には,学校が始まる時間になっても母親共々寝ているという「生活リズムの未確立」や次のような事情がある。

「詳しくはわかりませんが,妹が2人いて,小学5年生と2歳か3歳の子がいるんですけど,小学生の時も(一番下の妹が)まだちっちゃいですので,C君が家で世話をしてるんじゃないかという話もあったようです。」

兄弟が交互に学校を休んでいる背景には,下の幼い妹の面倒をみなければならないという事情もあるようだ。このような話が出ること自体,母親がC君の登校に対して積極的でないということであろう。

また,観察の中でC君は「お風呂に入る」「洗濯をする」といった基本的な生活習慣が身についていない様子がうかがえた。そして,教師たちもそのことを問題視している。

朝,職員室で先生たちがC君の話をしている。C君は今日も学校に来ているようだ。しかし,先生たちの話では,C君は「臭う」というのである。今日から12月,冬である。数日お風呂に入っていないのか,制服を洗濯していないのか,
その原因はわからないが,どちらも本人だけの問題ではない。

先生たちは,「さすがに親に言わないと」「C君せっかく来れるようになったのに,あれではアカンわ」「他の生徒もいくらなんでも言うで」「制服の腕のところも破けてるし」「教師がやるのは簡単やけど,親がやらな」などと論議していた。

引用元:学校における貧困の表れとその不可視化(2011)

つまり、C君は幼い妹たちの面倒を見る為に不登校に陥っていたということですね。それでもガンバって登校する日もあったようですが、お風呂に入れていなかったり服がボロボロだったり。友達からイジメの対象になることは想像に難くないでしょう。保坂が指摘するところの『学校に通う為の生活基盤ができていない』ということになります。

他の例も見てみましょう。

二時間目は数学。先生は黒板に問題を書き,前から順番に当てて途中式を答えさせていく。後ろから二番目の席に座っているG君が当たった。しかし,G君は「見えません」と答えた。先生は,G君の後ろの席の男の子に同じ質問をするが,彼もまた同様に「見えません」と答える。人ともふざけているようには見えない。

G君たちは体をできるだけ伸ばしたり目を細めたりして黒板の文字を読み取ろうとしていた。結局,その問題は先生が解いてしまい,「しょうがないなあ。だからプリントばっかりになってしまう」と言いながら,各自が持っているプリントを見るように指示していた。

授業後,担任のP先生にG君たちが黒板の文字を見えていなかったことを伝えると,「視力が悪い人は席替えの時に自己申告するように言ってるのに,2人は言わないから」と語っていた。

G君は目が悪いにもかかわらずメガネを持っていないため,ほとんど黒板が見えない状態で授業を受けていた。G君の後ろの席に座っている男子生徒も高校生の姉に育ててもらっており,メガネを買う経済的余裕が無いことは容易に想像がつく。

そして,約4ヶ月経った時点でもG君はメガネを持っておらず,前から2列目の席に座っても,黒板の文字が見えないほど視力が落ちていた。半年近くもこのような状態で授業を受けていればその影響は計り知れない。

X中の授業ではプリントが使われることが非常に多いため,G君はそれによって救われているとも言える。また,G君はメガネだけでなく,筆記具などの学習道具も十分に準備できていない。

引用元:学校における貧困の表れとその不可視化(2011)

目が悪いけどメガネを買うお金がない、シンプルにキツい事情ですよね。モノが見えないんじゃどんなに才能があっても授業についていくことはできません。

盛満は他にも『母親の精神が不安定なA君』や『両親から「親戚に預けた方がマシ」と言われているB君』、『父親のDVから逃げて転校して来たEさん』などの事例も観察しています。

これらの児童はいずれも約半数が不登校で学力は最低クラス。将来の夢というテーマを提出させた際、他の児童が『パティシエになりたい』とか『ゲームクリエイターになりたい』といった夢を描く中、12歳だったA君は『就職』とただ2文字だけ書いたそうです。かなり異質です。

早く働いて家計を助けなければならない、自分の夢を抱く余裕なんかない。若い中学生にあるまじき未来も希望もないただ『就職』の二文字が、果たして本当に『家庭の事情による不登校はサポート外』で済ませて良いのか疑問を投げかけます。

まとめ

本日は小中学生児童の不登校が近年増大している件をご紹介しました。

その原因として①コロナ禍による孤独感 ②教師の質の低下による教育水準低下 ③貧困による"見えない不登校" を考察しました。

彼の影響も少なからずあるのかもしれない。

まあ当たり前ですが義務教育は受けるべきです。

高校や大学の勉強は知らなくても生きていけますが、小~中学校の勉強はまさに『生きていくのに必要』です。いや、『人生の可能性がほぼゼロに等しくなる』と言い換えた方がいいでしょうか。

児童心理学や発達心理学の側面からも、学校というのは対人コミュニケーションを学ぶのに重要な場所です。様々な人間関係を通じて心の成長を促す場となります。

近年では『フリースクール』と呼ばれる形態の学校が増えています。フリースクールは私立学校の要件を満たさず、勤める職員が教員免許を持っていない、私塾に近い様態です。在籍するのはいわゆるドロップアウトした子どもたちです。

しかし最近、事態を重く見ている文部科学省も協力し、地元の正規小中学校が許可すればフリースクールも義務教育上の出席日数にカウントすることができるようになりました。つまり普通の学校に通っているのと同じ扱いになります。また中認試験や高認試験をパスすれば中卒、高卒と同じ扱いになることができます。

このように、一度義務教育の皿から零れ落ちた子どもを救い上げる制度があるのはいいことです。もちろん、本来は"誰も零れ落ちることがない"教育が望ましいのですが。

日本の不登校問題は40年以上も長期化している課題です。『どうしたら学校に行くことができるのか』ではなく、『そもそも学校とは何か』という観点が必要になってきているのかもしれませんね。

子どもの笑顔がない国に未来はないんだわさ