人はなぜ山に登るのか?
先日から登山を始めたので、アレコレ考えてみた。
なぜ、人は山に登るんだろうか。
私の場合、友人に『富士山を制覇しよう』と誘われたのがきっかけだった。
登山は実際楽しいものだ。
自分で計画を立てて、無事山頂に着いた時は何とも言えない達成感と自己肯定感を感じる。
しかしそれはあくまで主観なので、多方面から考えてみることにしよう。
名言『そこに山があるから』は誤り?
山に登る理由、といえばエベレストの山頂を目指したジョージ・マロリーの言葉が浮かび上がる人は多いだろう。
彼は『なぜ山に登るんですか?』と聞かれて『そこに山があるから』と答えている。
これは一見すると、そんなことを聞くこと自体が愚問で、理由も無しに人は山に惹かれるからこそ、ただ登るのだ、という精神論にも聞こえる。
しかし、近年の研究ではこれは誤りであると指摘されている。
彼へのインタビューの原文はこうだ。
ズラズラと何か書いてあるが、彼は締めくくりにこう述べている。
『エベレストは世界最高峰であり、まだ登頂に成功した者はいません。存在自体が挑戦なのです。これは本能的なものであって、万物を制覇したいという人間のサガなのではないでしょうか』
つまり彼は、処女峰としてのエベレスト登頂を『登る理由』の出発点にしている。それは南極点を目指したシャクルトンを引き合いに出していることからも明らかである。
すなわち、明確に世界最高峰への人類初登頂という目的があったのであって、もしマロリーが現代に生まれていたら、登山家すら目指さなかったかもしれない。
決して精神論ではなく、どちらかというとビジネスライクな考えであるように感じる。
年齢・男女別に見た割合
こちらは国がやっている社会生活基本調査(令和3年実施)にて、登山・ハイキングが趣味と答えた人たちの割合。
男女で比較してそれほど差はない。また、年齢で考慮しても偏りはほとんどないことがわかる。60~70代の登山人口がたくさんいるのは驚き。
実際の行動日数(一年でどれだけ登山するか)は、男で約 9 日、女は約 7 日であった。これもあまり差がない。
つまり、登山は年代関係なく愛されるアクティビティであり、男のスポーツ、女のスポーツというイメージもないようである。その観点から『山に登る理由』を探るのは難しそうだ。
では、年代別に登山をする理由を参照してみよう。
年齢別の登山の動機づけ
登山行動に関する社会心理学的研究(岡本、藤原 2015)では、登山を趣味とする120人を対象に聞き取り調査を行い、以下のようにまとめている。
年代と共に山へ登る理由が変化していくことがわかるが、男女ともに他者(友人、家族など)からの影響で登山を志す割合がもっとも高いようである。
また、男性はなんとなくやってみたいという自然発生的な割合が高い。これはマロリーの誤解釈で言うところの『そこに山があるから』という精神論だろう。
反面、女性はハイキングの延長など、自然との関りを目的とする割合が高く、景観を楽しみにして登山をする傾向にある。
年代別でいうと、若い頃はテレビやマンガなどメディアによる影響が大きく、40代を過ぎるとやはり他人からのお誘い、または体力増強やダイエットの為に登山をする割合が高くなってくる。
そして60代も過ぎる頃になると、子育て後の趣味や、昔に登山をして楽しかった思い出があるからなど、懐古主義的な理由が多くなる。人生の振り返りといったところだろうか。
おおまかに言えば年齢を重ねるにつれ、外部的要因から内部的要因にシフトしていくことがわかる。
結論
明確に『人が山を登る理由はコレ』という一つの結論にはたどり着けなかったが、登山人口は男女、年齢に関係なくまんべんなく存在しており、山に登る理由は年代に沿って、外的要因から内的要因にシフトしていく。
つまり、何かに刺激を受けて行う登山が、徐々に自分の為の登山に変化していくのである。
初期動機としては『他者から誘われて』というケースが一番多い。
つまり、友人に誘われて始めた私も、ご多分に漏れず多数派だったというワケだ。
かつては登山と言えば貴族、つまり金持ちの為のスポーツであった。
各国は処女峰の制覇に威信をかけて遠征隊を組織し、参加者は高額な装備を揃えて挑んだ。登山は余暇のアクティビティではなく、その名の通り命がけの挑戦だったのである。
貴族たちは登山の社交的な一面に目を付け、登頂を果たすことの名声に着目したのである。大きい獲物をトロフィーにする狩りと同じだ。
しかし20世紀以降では、科学の発達により登山技術や安全性が整備され、一般人にも広く登山を楽しむ機会が訪れた。(それでもエベレストの入山料は未だに130万以上するが)
今後、登山は人々にとって、より身近なスポーツとなっていくことだろう。
キミも始めてみない?
最近のコメント