子供の貧困・銀の匙

うちの実家は没落貴族です

皆さん、スプーン階級論ってご存じでしょうか。平たく言えば『親の経済力で子供の人生が決まる』という、韓国発のインターネットミームです。赤ちゃんの時に与えられるスプーンが金か、銀か、はたまた泥のスプーンか…といった皮肉交じりの言葉ですね。

韓国にはソウル大学という学校があり、日本で言えば東大みたいなトップクラスの学府ですが、そこの学生が2015年12月に自殺した際、遺書にこう書き残しました。

『生存を決めるのは箸とスプーンの色だった』

ソウル大学に入学出来るような超有能な人間ですら親の経済力次第で自殺に追い込まれるのか、という事実が当時、韓国の青年層に大きな衝撃を与えたと言います。

日本でも存在するスプーン階級論

日本でもスプーン階級論は存在します。これはよく『貧困の連鎖』という言葉で見聞きすることが多いかと思います。低所得者の子供は低所得者になりやすい、という社会問題ですね。

親の収入で子供の人生が決まるなんて、とても認めたくないことです。子供には無限の可能性がありますし、実際に菅総理のようにイチゴ農家に生まれアルバイトをしながら大学に通い、一国の総理まで上り詰めた人もいます。しかしそれはあくまで類まれな、例外的な例であって決して多数派ではないのです。(菅総理が苦労人だったという話は大衆の為のイメージ付けで、実際は父親が議員で豪農のボンボンだったという話もありますし)

例えば下の図を見てみて下さい。

お茶の水女子大学(2014)「平成25年度全国学力・学習状況調査(きめ細かい調査)の結果を活用した学力に影響を与える要因分析に関する調査研究」

これは親の年収とその子供の学力の関係をグラフにしたものです。親の年収が高い家庭の子供ほど学力が高いことが分かります。この他、お茶の水女子大学の研究では『父親が常勤職員である』『保護者の最終学歴が高い』『学校外支出の割合が多い(つまり塾など)』という家庭ほど子供の学力が高くなると分析しています。

まあでも、これは数字にしなくても感覚的、情緒的に理解出来ることです。よく昭和の時代から言われるのが『医者の子供は医者』ってヤツですね。お医者さんになるには猛勉強が必要です。その為に塾や家庭教師は必須。それに加えて大学に入るお金がなければそもそもスタートラインにすら立てないのが現実。

これはイルルの余談ですが『高卒の親は子供の大学進学に積極的でない』という話を教員の方から聞いたことがあります。社会に一歩出てみれば就職の面で大卒有利なのは明らかですが、大学では高校の教室のような勉強が4年間伸びるだけと思っている一部の方が、『お金もかかるし、私たちも高卒だが何不自由なくやってるし…』と渋る傾向があるんだそうです。

引用元:https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/moneypost/life/moneypost-587230

日本は貧困の国である

それでは、年収が低い貧困世帯って日本にどのくらいいるんでしょうか。実は日本は先進国の中でかなり貧困率が高い国です。実に6人に1人が貧困世代だという数字が発表されています。

引用元:OECD (2017g)、OECD Income Distribution (データベース)

皆さん、貧困者と聞くと空き缶を集めてる駅前のホームレスを思い浮かべたり、ウーバーイーツで食いつなぎながらネカフェに寝泊まりしたり、西成地区で暮らしている日雇い労働者みたいなのを想像するかもしれません。

しかし貧困には2種類あります。それはホームレスのような『絶対的貧困』と単に年収の低い『相対的貧困』です。そして貧困層と言えば主に後者を指します。さすがに今の日本でも6人に1人がホームレスなワケはありませんからね。更に一時的貧困やら慢性的貧困やら分類するとややこしくなるのですが、とりあえず厚生労働省によれば絶対的貧困というのは『生活に必要な最低限のモノさえ揃えられない人』で、相対的貧困は『年収が120万以下しかない人』というような定義です。

日本人の6人に1人は年収120万以下なワケですね。これらを占めるのは主に一人親、特に母子家庭、または老人です。老人の貧困、子供の貧困、こんな国で子供を産もうと思う人はどんどん減ってるのかもしれませんね。それが少子化に繋がっているのかも。ちなみに一人親に限定すると日本は世界3位の貧困率です。なんと南アフリカより貧しいという結果がOECDから発表されています。『アフリカの子供を支援しよう!』なんて言ってる場合じゃないのかもしれません。

引用元:OECD Family Databaseより。2016年または最新のデータ

絶対的貧困と相対的貧困の境界は曖昧である

貧困には2種類ある話をしましたが、イルルは絶対的貧困と相対的貧困の差は曖昧になって来ていると思います。例えば、お金がなくて靴を買えず裸足で生活している人、これは生活に必要不可欠なものが欠けているので絶対的貧困です。逆に、生活は出来ているけども靴に回すお金がなくてボロボロのスニーカーで生活しているような人、これは相対的貧困です。

しかし、現実にはどうでしょうか。『正装でお越し下さい』と言われた企業面接に古着とボロボロのスニーカーで臨むことが出来るでしょうか。冠婚葬祭にスーツやドレス無しで出席することが出来るでしょうか。ボロボロのスニーカーを履いた子供が学校でイジメられないでしょうか。

イルルは相対的貧困に分類されるからといって、必要不可欠な最低限の生活が営めているとは思いません。こんなような例は無数にあると思います。これが絶対的貧困と相対的貧困の差が曖昧になって来ていると感じる所以です。

貧困を解決するには

それではこのような貧困の連鎖を断ち切り、根本的に現状を解決するにはどうすればいいんでしょうか。『21世紀の資本』で有名なトマ・ピケティは次のように述べています。

資本集約社会の格差を是正するためには、所得税の累進課税に加え、資本へのグローバルな累進課税が必要だ。日本でも今年1月から相続税の基礎控除(非課税枠)が引き下げられ、課税ベースを広げると同時に、これまで低下してきた最高税率が55%に引き上げられた。富裕層への相続税の課税強化は、経済格差の是正とともに格差の固定化を防止する上で必要だろう。

   一方、孫や子どもへの住宅取得資金や教育資金の贈与税の特例拡大は、高齢富裕層が有する豊富な金融資産を活用して経済の活性化を図ろうとするものだ。しかし、これは長期的には富裕層の再生産と格差の固定化をもたらす可能性が高い。少子化が進む中、「世襲資本主義」が行き過ぎないためにも、高齢富裕層の資産は社会全体の若年層へ再分配されるような仕組みが必要ではないだろうか。

引用元:https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=42421?site=nli

まあ、要約すると富裕層に強い税をかけ、貧困層に再分配する仕組みが必要ということですね。『グローバルな累進課税が必要』というのは、富裕層に強い税金をかけても外国に資産を作ったりして逃れる手段がある(俗に言うタックスヘイブン)ので、世界の国々が協力してそのような『税金逃れ』を防ぐ手段を講じなくてはならないということです。しかしこれがかなり難しいということは想像に難くありませんね。ちなみに余談ですが、ピケティは『日本の消費税増税は失策だった』と述べています。トホホ。

子供に光ある未来を届ける社会であって欲しいものです。

以上、イルルの貧困社会の眺め方でした