悪魔は良い存在!?

悪魔っていうとどんなイメージがありますか?魂を奪う存在?人間を堕落させる存在?
私はたまに思うんです。悪魔って善悪で言えば『悪』ですけど良い悪いで言えば『良い』存在なのではないかなと。
そんな想いを記事にしてみました。

悪魔とはそもそも何なのか

仏教辞典では、悪魔は以下のように定義されています。

悪魔(あくま)とは、特定の宗教文化に根ざした悪しき超自然的存在や、悪を象徴する超越的存在をあらわす言葉である。悪魔は、仏教では仏道を邪魔する悪神を意味し、煩悩のことであるとも捉えられる。

『岩波 仏教辞典 第二版』 岩波書店、2002年、p.6

悪魔と一言によっても教圏によってその意味は様々です。キリスト教であれば主に墜天した天使たちを悪魔と呼び、光と闇というように対比して描写されます。ファンタジー小説なんかでもおなじみですね。テレビゲームでも悪魔と言えば大体は『闇属性』であったり、強靭な魔力を奮うボスキャラとして登場したりします。

一方、仏教では悪魔はマーラと呼び、釈迦が悟りを開くのを邪魔する存在、転じて仏門に入り悟りを開こうとする修行者を邪魔する存在とされます。まさに煩悩の権化ということですね。

イスラム教では悪魔はどっちかっていうと悪霊的な意味合いが強く、唯一神アラーに反抗する存在、そして人間に危害を加える存在として描かれます。『アラジンと魔法のランプ』で有名なジーニーも悪魔の一種です。

ミケランジェロ作「大アントニオスの苦悩」。悪魔に誘惑されまくる大アントニオス。非常に迷惑そうである。

悪魔は不当な扱いを受けた存在

かつて、法整備が完璧ではなかった時代、人々を統率するのにもっとも有効な手段は宗教でした。『神様がこう言っている』ということにすれば文字も読めなかったような人々は盲目的に従うものです。これはどの世界でも同じでした。古代日本でも天皇は神格化され、エジプトのファラオ(王)は神と同一視されました。現代でも残る風習ですが、土曜日と日曜日が基本的に休みなのも宗教の成せる業です。

これら宗教で人々を統率する者にとって、敵国を侵略した後に国民を教化するにあたり、もっとも有効なのはその国の神様を悪魔として扱うことでした。『お前らが今まで信じていたのは悪魔だったんだぞ』ということにすればすんなりと支配を受け入れるということですね。

これは大航海時代の植民地化などの際に顕著に見られます。例えば南国のタヒチの人がキリスト教を崇拝しているのは、フランス人が大航海時代に到着し教化活動を行った為です。

元神であった悪魔はたくさんいます。例えば上で挙げたアラジンのジーニーですが、元々イスラム教が台頭する前はアラビア半島で神としてアラブ人に崇拝されていました。その後、ムハンマドが現れイスラム教が登場すると、ジー二ーは『良い者もいるが悪い者もいる、精霊のような存在』と定義されました。何とも曖昧ですね。

他にはタコの姿かたちで有名なダゴン。クトゥルフ神話にも出てきますね。ダゴンは元々古代メソポタミア文明で崇拝されていた豊穣神であり、神殿もありますが、旧約聖書ではイスラエル人と敵対したペリシテ人が崇拝している対象だった為、怪物の姿をした悪魔の扱いを受けています。

これらはあくまで一例であり、宗教戦争によって悪魔とされてしまった神はたくさんいるのです。

元々豊穣神だったダゴンもタコの化け物に…。
引用元:https://www.pixiv.net/artworks/10668908

悪魔は都合の"良い"存在

多少、ゲームやマンガに明るい人なら『サキュバス』や『インキュバス』という名前を聞いたことがあるでしょう。どちらも悪魔の名前です。サキュバスは男性の元に夜な夜な現れ、淫らな行為を迫る女の悪魔とされています。(インキュバスと同一視され、両性具有とされる場合もあります)

一方、インキュバスは男性の悪魔で、こちらは女性を誘惑する悪魔として描かれます。どちらの場合にしてもこれらの悪魔は理想の異性の姿で現れる為、その誘惑を打ち払うのは大変難しいそうです。

宗教観が雑多な日本人からしてみれば『ウチにも来て欲しいわ!』なんて言いたくなる悪魔ですが、彼らと関係を続けると次第に健康状態が悪化し、死に至るそうです。まああくまで悪魔ですからね。

彼らは人々を堕落させる悪しき存在ですが、往々にして都合の良い存在でもありました。

例えば、ある日の朝、性欲を戒めとする聖職者が夢精してしまっていたとしましょう。未婚の良家のお嬢さんに、突然妊娠が発覚したとしましょう。現代で言えば不義不貞の結果ですが、これらを全て『悪魔の仕業だ!』としてしまえばいくらでも言い訳が立つのです。

『サキュバスに襲われた!インキュバスに妊娠させられた!』ということにしてしまえば可哀想な悪魔の被害者ですから、ひどい事件にはなりません。(それでも時代によっては処刑されてしまったりしますけど)

このように、悪魔はとっても都合の良い存在だったワケです。他にも『勝手に物を壊す悪魔』や『気力を奪う悪魔』、最たる例で言えば『人の命を奪う悪魔』なんかも当然いるワケで、自らの不道徳を全て悪魔に課してしまえば法整備の整っていない時代では言い逃れすることが出来たのです。悪魔からすればいい迷惑ですね。

ロヴィス・コリント『聖アントワーヌの誘惑』。サキュバスたちに誘惑される聖アントワーヌ。微妙に嬉しそうである。

まとめ

宗教観の強い国で書いたら袋叩きにされそうな記事ですが、日本では幸い無宗教者が多く自由な風潮な為、『悪魔』といってもそのカテゴリは様々です。『黒執事』や『チェンソーマン』など悪魔がダークヒーローとして活躍するマンガはたくさん存在しますし、私の大好きな『女神転生』シリーズも悪魔を仲間にしながら冒険するゲームです。

それらの悪魔は人々の心をワクワクさせる描写がされ、カッコよくて可愛い存在です。このように現代日本では、悪魔は忌避すべき存在という認識はほとんどありません。ソシャゲでもファンタジー小説でもいくらでも出て来ますからね。

しかし歴史を辿ると悪魔っていうのは実に人間に都合のいいように創り出された存在なワケです。そんな云われなき扱いを受けている強大ながらもカワイソーな悪魔たち…魅力的に思いませんか?

興味があったら色々と調べて、悪魔を好きになってくれれば幸いです。

始めよう、悪魔崇拝ライフ