歴史の雑学・トリビア

ヒマなので歴史の雑学をご紹介したいと思います。暇つぶしに読んで頂けると幸いです。ところで私は学生時代、社会の成績はいつも上位でした。考古学の道に進みたいと思ったこともあります。それが何で今は理系の仕事してるんでしょう。謎です。

原始人はまだ現代にも存在する

原始人…というと差別用語なので使っちゃダメらしいですけど、要は文明と切り離された存在ということです。石器時代さながらの生活を続け、現代社会と全く交わらない人々というのは2021年でも存在します。それはインド洋にあるセンチネル島という島に住むセンチネル族です。

彼らは原始的な弓を持ち、服も着ません。話す言葉もセンチネル語という独自言語の為、コミュニケーションは取れません。また彼らは非常に排他的・攻撃的な民族で、島に上陸する者を見境なく弓で射撃して殺害する為、インド政府も不干渉を貫き通しています。関わるだけ無駄ってことです。

それに、下手に現代人が島に踏み込むと彼らが免疫を獲得していない伝染病を持ち込んでしまう危険性があり、彼らにとっても良くないことなのです。実際にそのような不用心さが原因で絶滅してしまった民族はたくさん存在します。これが文明と完全に切り離されている理由です。

島には約250人ほどが住んでいるとされますが詳しい状態は不明。尚、2018年11月に『冒険家』を自称するアメリカ人の宣教師が島に上陸しましたが、殺害されて遺体も回収出来ずにいます。

センチネル族。野生のブタや魚を狩猟して生活しているとみられる。文字を有するかは不明。

銃が発明される1700年前にクロスボウが存在していた

クロスボウ…ゲームやマンガで出て来るアレです。普通の弓と違って、溝に矢(ボルト)を設置して弦を引くと固定され、そのままの状態でピストルと同じように狙いを定められる武器です。フツーの弓矢より速射性が落ちますが飛距離と貫通力に優れるメリットがあります。

クロスボウは紀元前500年頃の中国で既に主力として使われていました。弩(ド)と呼称されていたそれは青銅で作られ、騎兵を相手に活躍したそうです。但し、詳しい発明者や発明時期は歴史に埋もれて分かっていません。

一方、銃は火薬の爆発によって弾を飛ばす武器ですが、登場したのは1200年頃です。その頃の中国の古文書に『突火槍』という武器の記述があり、筒状の木や竹に火薬を詰めて石を飛ばす機構だったと記載されています。これが改良されて単発式の砲になり、シルクロードを利用してインドやアラビアに伝わり、世界に広まったというのが有力な説です。つまりクロスボウも銃も中国発祥。

ちなみに見た目がちゃんと銃っぽいマッチロック式の銃、つまり火縄銃が出来たのはそれから更に300年後の1500年代のことです。

こちらが弩。射程距離は250メートルほど。

ファラオは公開オ〇ニーさせられていた

古代エジプトと言えばファラオの存在が有名ですよね。ツタンカーメンやクレオパトラと言えば誰でも聞いたことがあるでしょう。彼らは国民の上に君臨する王であると同時に、太陽神ラーの子とされ、神と等しい存在として人々に崇められました。

そんな彼らですが、独裁者のように傍若無人に好き勝手出来たというワケではなく、人々の求めに応じて、『神である』がゆえになかなか過酷なハードルを越えなければなりませんでした。その一つがナイル川に向かって〇ナニーしなければならないというものです。

エジプト神話ではアトゥムという創造の神がいます。彼はたった一人で生まれたので自分以外の神々を自慰行為によって生み出したとされています。その神話の慣習に従い、ファラオは度々人々の前で服を脱ぎ、ナイル川に向かってオナ〇ーする儀式をしなければなりませんでした。人々が生命の源として崇めるナイル川とファラオの精が交じり合うことで、更なる豊穣を生み出すと信じられていたからです。つまりナイニー。ちなみにこれは男性だけの儀式で、女性のファラオはしなくて良かったそうです。良かったですね。(何が?)

余談ですがこの他にも、ファラオは即位30年目以降、3年毎にセド祭という儀式を行う必要がありました。その中身は人々の前で健康をアピールする為にひたすらマラソンをするというものです。長寿王ラメセス2世なんかはこのセド祭を13~14回開き、80歳を超えても元気にマラソンしていたそうです。ファラオも大変だったのです。

ナイル川の風景。ファラオはこれをオカズにしなければならなかった。

人類は10万年ほぼ進化しなかった

現代の人類、すなわちホモサピエンスは約30万年前にアフリカで誕生したとされています。その後も進化が続き、約10万年前に彼らの脳は現代人とほぼ同じ大きさになりました。しかしご存じのように、人類が農業を始めて文字や通貨を作り出し、電気を発明してインターネットやらスマホやらを手にしたのはここ一万年程度の間のことです。

つまり人類は10万年前に生まれてからつい最近まで、石や棒で殴り合っていたのです。これはトリビアというよりは歴史の謎ですね。特にここ2000年程度を見れば人類はキリスト誕生から宇宙進出まで成し遂げています。いかに爆発的な進化かお分かりになるでしょう。一体どうして人類は急に文化的躍進を遂げたのでしょうか。

これには諸説あって、例えばボストン大学の神経学者アンドレイ・ヴィシェドスキー博士は特異な状況で全く言語に触れて来なかった少年少女がその後何年トレーニングしても「in」「on」「at」などの空間的前置詞を理解出来なかったことに触れました。彼らは『青い箱を緑の箱に入れる』などの簡単な指示をこなせなかったそうです。

しかし約7万年前、脳に突然変異を持つ子供が現れ、こういった文章の入れ子構造を理解して習得したと彼は述べます。それから人類は複雑な文章(言葉の再帰構造と言うそうです)を想像して理解することが出来るようになり、進化を遂げたという説です。まあそれでも7万年前ですから、なが~い間何してたんだってところは変わらないんですけど。

他にはダーウィンの進化論自体を否定する説や過去に文明が存在したが滅亡したという説など、突拍子もない説がたくさんあって調べてみると面白いですよ。

古代の人々はかなりのんびりと進化してきたようだ。

女王のダンナは何て呼ぶ?

王様が結婚して奥さんが出来たら、その人は王妃と呼ばれますね。では女の人が王の場合、つまり女王がお婿さんをもらったら、その人は何て呼ばれるんでしょうか。王様になる?もちろん違います。あくまで執政者は女王様の方なんですからね。

答えは『王配』(おうはい)です。英語では prince consort や king consort と呼ばれます。国婿(こくせい)や王婿(おうせい)とも呼ばれることがあるそうです。日本は長らく男系天皇なので馴染みがないですが、もし女性天皇が生まれてお婿さんをもらうことになったら、その人はたぶん皇配様か皇婿様と呼ばれることになるでしょう。

ちなみに、現時点で世界のどの国にも王配は存在しませんが、将来スウェーデンのヴィクトリア皇太子(皇太子というと日本の感覚では男性かと思いがちですが、女性です)が王位を継げばその夫であるダニエル王子が王配となる予定です。

こちらがダニエル王子。王子と呼ばれているが元一般人のスポーツジム経営者。ヴィクトリア皇太子が女王になれば王配となる。元々は皇太子のパーソナルトレーナーだったが、そのうち恋に落ちたそうな。素敵な話である。

宇宙に初めて行った生き物はハエ

1969年7月20日、ニール・アームストロングらがアポロ11号に乗って月面着陸を成功させたことはあまりにも有名だと思います。しかしもちろん、初めて有人飛行をする前に、先んじて色んな動物が実験的に宇宙へ向かいました。では初めて宇宙に行った動物は何なのでしょうか。答えはミバエというハエです。

1947年、アメリカは第二次世界大戦で勝利した後、ナチスドイツの開発していた弾道ミサイルであるV2ロケットを手に入れました。アメリカは宇宙における被ばくの影響を調査する為、このロケットにライ麦と綿の種、そしてミバエを乗せて発射したのです。なんとも災難なハエです。

ハエを乗せたロケットは高さ109キロまで到達しました。国際航空連盟やNASAの定義では高度100キロから上空が宇宙になりますので、このハエはしっかり宇宙まで行ったということになります。ハエはカプセルに入った状態で、地球に戻って来た後パラシュートで降下し研究者によって回収されました。するとなんと、ハエは元気に生きていたそうです。それを見た研究者は「はえ~」と感心したそうです。嘘です。

尚、ハエを選んだことにはちゃんと理由があります。テキトーにそのへん飛んでたから捕まえて「I can flyってかw」みたいなノリで飛ばしたんじゃありません。ミバエという生き物は、驚くべきことに人類と遺伝的に多くの共通点を持っているそうです。人間が病気になる原因の遺伝子の75%をミバエも持っているそうな。もちろん、ハエよりチンパンジーとかの方が人間と遺伝子的に近いんですが、初回の宇宙進出なのでとりあえず載せるのが容易なハエを選んだのでしょう。

1957年に打ち上げられ、初めて周回軌道に乗った宇宙犬ライカは栄誉を讃えられて切手になった。ハエは切手にしてもらえなかったのに。

トーマス・エジソンは小学校も卒業してない

電気の申し子エジソン。彼が電灯を発明したことは余りにも有名ですね。他にも彼は電気で動く鉄道、つまり電車を作ったり蓄音機を発明したりしました。合計で1300以上の発明と技術革新を行い、『発明王』という異名を持っています。そんな天才ならさぞかし良い大学を出ているんだろう…と思いきや、実はエジソンは小卒です。それどころか小学校すらまともに卒業していないのです。

小学生に入学した頃のエジソンは度々先生を困らせたそうです。『2個の粘土をくっつけたら1つになるのに、なぜ 1+1=2 なの?』と質問したり、『なぜA(エー)はP(ピー)と呼ばないの?』と質問したり。現代の解釈では、彼はASD(自閉症スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動性障害)だったのではないかと言われてます。

他にもエジソンはガチョウを孵化させようとガチョウの卵の上で何時間も座り込んだり、『なぜ物が燃えるのか』を知りたくて藁を燃やし、誤って自宅の納屋を全焼させたりしたそうです。

そんなエジソンなので先生と折り合いが合わず、なんと少年エジソンは入学して3か月で小学校を辞めてしまいます。どこかのYouTuberと一緒ですね。先生には最後に『君の頭は腐っている』とまで言われたそうな。しかしエジソンは運よく母親が学校の教師だったので、自宅で母親から読み書きなどを教わることが出来ました。

その後、エジソンは鉄道の駅で働き始めますが、15歳の時に幼い駅長の息子が汽車に轢かれそうになったところを助け、駅長にいたく感謝されて電信の技術を教えてもらいます。それが彼が技術者として歩み出すキッカケになったそうです。

まぁ、当時はまだ1800年代半ばで、日本で言えば黒船がやってきたあたりの時代でしたから、まだまだ高校や大学は現代のように整備されていませんでした。しかしそれにしても現代科学に大きく寄与した人物が学校で算数すらまともに勉強してなかったというのは驚きですね。

発明王トーマス・エジソン。小学校も卒業していないのでもし彼が履歴書を書いたら学歴は空欄になる。

現実に存在した黒騎士

黒騎士と言えば皆さん、どんなのを想像しますか?マンガのダークヒーロー?それともゲームに出て来る魔王の腹心?何にせよ、騎士道という正義のイメージでありながらダークパワーっぽいのはナイトが持つと光と闇が両方そなわり最強に見えるんですよね。そんな黒騎士ですが、何もファンタジー小説の産物というワケではなく、現実に存在した職業でした。

騎士自体の歴史はとても長く、文字が無い先史時代から1500年頃までヨーロッパを中心に広く活躍していましたが、いずれの国でも共通する約束事として、主君から叙勲を受けねばならないという点があります。

現代風に言えば資格試験に受からないと騎士にはなれなかったんですね。騎士になることは難しく、中には農民が騎士になった例もありますが、基本的には家が裕福な領主階級などが出自として多かったそうです。これは騎士になっても自腹で従者を雇ったり、鎧や馬の維持費を賄っていかなければならないからです。

そんな背景もあり、騎士というのは少しづつ貴族の仲間入りをしていきました。また、一旦騎士に叙勲されればその子供も自動的に騎士になることが多かったそうです。しかし、騎士の役目は本来は戦闘であり、戦争になれば命をかけて敵と戦う必要があったのは言うまでもありません。

そこで登場して来たのが黒騎士です。黒騎士は正式な叙勲を受けていない、いわば騎士を自称しているだけの人たちでした。彼らは傭兵の一種であり、名誉や愛国心ではなく金を求めて戦いました。通常の騎士は盾に自分の家の紋章(家紋みたいなもの)を描いて戦いましたが、黒騎士は身分の低い人たちだったので盾を黒く塗りつぶしていたそうです。また、貧乏だったのでサビ止めの為に鎧も黒く色を塗っていたそうです。これが黒騎士と言われる由縁ですね。

このように、現実に存在した黒騎士というのは特段カッコいいものではなかったのです。しかし、あえて戦争に身を置いて戦うことで稼ぐ道を選んだ人たちですから、戦闘の実力はとても高かったという説もあります。


現実に存在した黒騎士はいわば、『モグリの騎士』だった。

引用元;https://appmedia.jp/kuro-kishi/766129

ティッシュペーパーは戦争から生まれた

花粉症の季節には手放せないティッシュペーパー。実はこれが戦争の産物ということはご存知でしょうか。

時は1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、戦時病院で外科手術に使うコットン(綿)の不足がたちまち課題になりました。そこでキンバリー・クラークという人が開発したのが木材繊維を丸めて使うセルコットンという代用品。吸収性を高めたものはガスマスクのフィルターとしても使われました。

1919年になって大戦が終結すると、キンバリーの予想に反してセルコットンはかなり余ってしまいました。不良在庫です。これをナントカする為に、キンバリーは『使い捨て出来るハンカチ』という触れ込みでセルコットンを一般販売し始めます。商品名はクリネックス。Cleen(清潔)からもじったそうです。そう、現代の日本でも存続している有名な商品ですね。ちなみに一部の英語圏でクリネックスと言えば、そのままティッシュの意味として伝わるとか。

これは女性のメイク落としとしてめちゃくちゃウケが良く、あっという間に世界へ広まっていきました。日本でも1963年まではちり紙を使っていましたが、キンバリー社が進出するとたちまちティッシュが一般層に浸透したそうです。そして現代ではすっかり生活に欠かせないアイテムとなったのです。

薬局でティッシュを見かけたら『昔はガスマスクに使われていたんだなぁ…』と想いにふけってみて下さい。

世界で最初に道具を作ったのは…

世界で最初に作られた道具というと何を思い浮かべるでしょう。畑を耕すクワ?それとも革製のバッグ?いえいえ、それは石を削って創り出された石器です。古代の人は手近な材料である石を加工して、食器や武器を作っていました。これらは磨製石器と呼ばれます。

そしてなんとビックリ、世界最古の磨製石器は日本から見つかっています。それは群馬県みどり市笠懸町にある岩宿遺跡から1946年に見つかった石斧です。約3万8千年から3万5千年前のものだと言われています。

もちろん、たまたま最古の磨製石器が見つかっているのが日本というだけで、古代日本人が最初に道具を作ったとは断言出来ませんし、石器自体は約260万年前のものがエチオピアなどから発見されています。(但しそれらは磨製石器ではなく、丸っこい石をそのままお皿にしたり元から尖ってる石をナイフとして使ったもので、"作られた道具"という定義からはちょっと外れます)

しかし、モノづくり大国日本としてはなんともロマンがある話ではありませんか。

ちなみに、この最古の石斧を発見したのは相沢忠洋という人物です。彼は納豆の行商をしながら独学で考古学の勉強をしていました。彼が石器を見つけるまで考古学会では『日本に人が住み着いたのは縄文時代から』というのが定説でした。それ以前の年代の地層を調べると火山灰の積もった関東ローム層になる為、火山が噴火しまくってた時代に人間が日本に定住出来るワケがない、と考えられていたのです。『日本にも石器時代があった』と仮説しようものなら笑い者にされるのがオチでした。

しかし相沢さんはひょんなことから岩宿遺跡を発見し、石斧を発掘しました。学歴もなく自称考古学者に過ぎなかった相沢さんは他のちゃんとした考古学者に話を聞いてもらう為、120kmも自転車をこいで群馬から東京まで度々出向きましたが、全く相手にされなかったそうです。

まぁそれはそうでしょう。縄文時代と石斧が発見された年代は2万年以上も離れているんですからね。

しかし、やがて明治大学の芹沢長介という人物が相沢さんの話に興味を持ち正式に調査したところ、誰が見ても疑いようのない黒曜石の槍などが次々と発見され、石器時代の存在が認められました。これによりそれまでの学説は根底からひっくり返ったのです。世界の考古学に影響を及ぼす重要な発見は、一人の納豆売りの熱意で達成されたということです。

岩宿遺跡には現在、博物館が建っている。群馬にお出向きの際は是非立ち寄ってみて下さい。(但し2021年9月現在は休館中)

歴史を知ると"今"が分かる。温故知新だわさ!