人生とは一体何か ~ニーチェの言葉を借りて~

神は死んだのだ

ツイッターで記事ネタを募集してたら人生とは一体何かについて記事を書いて欲しいというなんか重いお願いを受け取ったのでつらつら書いてみたいと思います。

とはいえ、イルルは人様に説教出来るような徳や学があるワケではないので、ここはひとつ偉人である哲学者、ニーチェの言葉を借りて想いを述べてみましょう。

どっちが善人の家?

唐突ですが、上の画像を見て下さい。2軒の家が並んでいます。どっちが善人の住んでいる家っぽいですか?何となくで大丈夫です。記事を読んで頂く間、頭の片隅で覚えておいて下さい。

人生に意味などない

はたまた唐突ですがニーチェはハッキリ言ってます。人生に意味などない、と…。ガーン、ショックですね。人生は無意味なんです。じゃあなんで我々は生きてるんでしょう?謎です。

ここで永劫回帰と背後世界と言う言葉が出て来るんですが、永劫回帰は長くなるので今回はちょっと割愛させて頂いて、背後世界の方を説明させて頂きたいと思います。

皆さんもきっとこんな経験があると思います。

学校の先生は言いました。『立派な大人になれ』と。
親兄弟は言いました。『女は結婚することが幸せ』と。
会社の上司は言いました。『汗水垂らして働くのが社会人だ』と。

美辞麗句を並べ立て、いかにそれが『善いこと』であるか説教臭く語ったことでしょう。胸を張って生きよう、みんなを笑顔にしよう、自分に自信を持とう、幸せを掴もう、うんたらかんたら。

しかし、それらは全てウソです。世の中ウソだらけ、欺瞞の嵐なのです。ニーチェは殺人すらも絶対悪とはしていません。ローマのカエサルを例に出し、『彼はたくさんの人を殺したが、悪人ではない』と述べています。

現実世界はシンプルな構造です。例えば、あなたの家が火事になったとしましょう。家が焼失すれば生活に困りますから、火事は『悪いこと』です。しかし物理学的には、火は酸素と結びつきながら燃焼し、家財を炭化させ、光と熱を発するだけです。それ自体に善いも悪いもありません。

このように、結婚して家庭を築くのが善いこと、一生懸命働くのが善いこと、というような価値観はどこかの誰かが勝手に作った押しつけがましい道徳なのです。これをニーチェは背後世界と呼びました。背後霊みたいにくっついて回ってくる世界観だからですね。

どこかの誰かが勝手に作った価値観に適合出来ないからといって、思い悩む必要はない。

神は死んだ

もう少し踏み込んで説明しましょう。ニーチェは背後世界がまん延している原因として、キリスト教を槍玉に挙げ、反キリスト教とも言える考え方を示しました。『神は死んだ』というセリフは余りにも有名ですね。

主、イエスは言われました。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
誰かがあなたの右の頬を叩くなら、左の頬も向けなさい。

マタイによる福音書5章38~42章

このように、キリスト教では弱い者、持たざる者が『善い』とされて来ました。他人の為に自分を犠牲にすることが清く正しい道徳だと教え込まれて来たのです。キリスト教が浸透していない日本人にはあまり馴染みがないかもしれませんが、『清貧』という言葉があるように、このような背後世界は我々の社会の中に確かに存在します。

徹底した利他主義は持たざる者が、持つ者を自分たちと同じレベルに下げようという考えだとニーチェは批判しました。精神的復讐、なんて表現もします。つまり自分より優れている者への嫉妬、嫌悪です。これをルサンチマンと呼びます。

冒頭の画像クイズを見て、あなたはAとB、どっちに『善い人』が住んでいそうだと感じましたか?
なんとなくAを選んだ人が多いんじゃないでしょうか。
Aはいかにも牧歌的で優しそうな人が住んでそうだけど、Bは何か悪いことして稼いでるヤツが住んでそう…。そんな風に感じなかったでしょうか。もし感じたなら、それがルサンチマンです。

裕福で恵まれた生活をしている人に対して、『きっと悪いことをして金を稼いでるに違いない』と断じて悪に仕立て上げてしまえば、持たざる者は正義のヒーローとなり『善い人』になることが出来ます。本来は持たざる者も持つ者になれるよう努力するのが健全ですが、それを諦めて持つ者の足を引っ張るのがキリスト教の教義だ、とニーチェは言ったんですね。ニーチェはこのようなルサンチマンこそが人生の苦悩の原因で、これを克服せねばならないと考えました。

少し俗っぽい視点にシフトしてみましょう。皆さんの身近なところで、例えばバズったツイートにしょうもないアンチが湧いて来るシーンを見たことがありませんか?
自分もツイートでバズって承諾欲求を満たしたいが、それが出来ない。だから無意識的にバズってるツイートを悪に仕立て上げ、正義感をタテにしてコメントする。こんな人を想像するとルサンチマンが分かりやすいと思います。

https://twitter.com/8orochiura/status/1051455575819575297

超人を目指さなければならない

社会は背後世界に囚われていて、誰かの作った勝手な道徳に従う必要はない。それでは、一体我々は何を信じ、どう生きればいいのでしょうか?

人生に意味なんてないんだからもうやる気出す必要はない!ひたすらゴロゴロして暮らそう!のんびり毎日ゲームして暮らそう!コタツでぬくぬくしよう!

そういう生活もちょっとイルル的には憧れますが、ニーチェはそのような退廃的な考えは推奨していません。もっと前向きです。良かったですね。ニーチェはそのようなやる気のない生活を続ける者を『末人』(まつじん)と呼び、最低の軽蔑すべき者と述べました。キリスト教の教えは他人の足を引っ張り合う教義なので、そのような退廃的な考え(これをニヒリズムと言います)がまん延すればいずれ世界は末人だらけになってしまう、とも述べたのです。

ニーチェの考えはむしろ末人の逆、キリスト教の善悪を否定し、自分の可能性を極限まで実現する人生を目指さなければならないとしました。分かりやすく言えば、人生に意味がないなら自分で自由に意味を付け加えればええやん!って考えですね。これが出来る人をニーチェは末人と対比して超人と呼びました。そして、全ての人間は超人になるべきだと考えたのです。

ニーチェは特に、未来より現在を大切に考えました。彼は『過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える』という言葉を遺しています。

『自分は貧乏で何の能力もないけど、これは神様の与えた試練だ。きっと今を耐え忍べば死後は天国に行けるはず』こんな考えを基にして現在の努力を放棄してはならないと言いたかったワケです。もっと現在の自分を肯定しましょう、受け入れましょうという考えですね。

ハンチョーもニーチェ哲学の信奉者だったのかもしれない。

引用元:https://next.rikunabi.com/journal/20151220/

まとめ

今回の記事ではニーチェ哲学を借りて『人生とは何か』を説明してみました。

  • どこかの誰かが勝手に作った価値観に従う必要はない。
  • ルサンチマン(嫉妬)こそが人生の苦悩の原因である。
  • ニヒリズムはあなたを末人に近づけ、人生を怠惰なものとする。
  • 現在の自分を肯定しよう。現在の連続がやがて未来となる。
  • 人生に意味がないなら、自分で意味を与えれば良い。

まとめるとこんな感じでしょうか。

今から100年も前の人ですし、日本に馴染みの薄いキリスト教を批判した考えが主流になってますからいまいちピンと来ないかもしれませんが、現代の日本社会でもニーチェの考え方が当てはまるシーンは多いんじゃないかと思います。

ニーチェの本はたくさん出ていますし、分かりやすくマンガ形式にしたものなんかもありますから、興味が出て来たら是非手に取ってみて下さい。きっと人生を生きるヒントを得られるはずですよ。

じゃあの