ゴミの歴史

皆さん、突然ですが自分の小学校にこんな感じの焼却炉はありましたか?

もし「あった」という思い出があるなら昭和生まれの方かもしれませんね。今時の学校ではどこも撤去されているかもしれませんが、1990年代初頭まではこのような焼却炉がどこの学校にもあって、教室で出るゴミを用務員のオジさんが燃やしていました。小さなちり紙は元より、壊れた机や椅子まで燃やしていましたね。

しかし、これらの焼却炉はゴミを燃やした時に発生するダイオキシン(子供の発育を低下させる毒性の化学物質)が問題視され、用務員のオジさんと共に姿を消していきました。今日はそんな思い出に胸を馳せながらゴミの歴史を紹介したいと思います。

江戸時代以前のゴミ処理

江戸時代以前は、ゴミの処理はもっぱら雑なものでした。東京であれば川や堀などに棄て、大阪でも海にそのまま棄てていました。汚いですね。しかし、当時は台所から出た灰やトイレから出る屎尿を農村部の肥料として使う風習があったそうで、ある種リサイクルの原理は既に完成していたようです。

少し話が逸れますが特に屎尿は貴重品で、野菜や金銭と引き換えに売られるほどでした。屎尿専門の棒手振りもいたそうです。いわばウ〇コ屋さんです。また、長屋(アパートみたいなもの)を管理する大家さんは共同トイレから得られる屎尿が大きな収入源だったそうです。ボーナスがウン〇。更に、上流階級の人間は普段から栄養のあるものを食べている為、江戸城から出る屎尿などは最高級品だったそうです。お姫様の〇ンコをありがたがる江戸庶民。

食事中の方はすみません。とにかく、当時そのように庶民の努力でゴミの有効活用はなされていましたが、再利用出来ないゴミは海や川に棄てているのが日常的でした。まあ、当時プラスチックは存在しませんでしたし、海洋汚染はそれほど深刻ではなかったようです。

江戸時代のリサイクル業者。古着屋などもこの時から既に存在した。

初めてのゴミ処理法案

江戸時代の半ば、悪臭や美観の問題から海などにゴミを棄てるのを禁止し、集積して特定の埋め立て地へ埋めるようお触書が幕府から発出されました。つまりこの時、初めてゴミの収集と運搬という概念が生まれたのです。しかし埋立地の整備はまだまだ未熟で、その辺で野焼きしたりブタに食べさせたりというゴミ処理方法が継続していました。この習慣は明治初期に至るまで続いていました。

しばらくして、不衛生な環境が元でコレラやペストが流行するようになると、その対策として1900年(明治33年)、汚物掃除法が制定されます。この時から本格的に、ゴミと屎尿の収集が地方行政の業務となりました。ただし、燃えるゴミは銭湯で燃料として燃やす、生ゴミは肥料にするなどの再利用をしていたので、それほど多くはゴミが出なかったようです。当時の大阪を挙げるとゴミの量は年間約7万トン。現在は300万トンですから、40分の1以下です。これはまだまだ日本の人口が少なかったことも起因しているでしょう。

明治維新から終戦まで、日本の人口は現在の半分程度だった。

大量生産の時代へ

昭和20年の終戦後、日本は焼け野原だった為、極度の物資不足に陥りました。その為にゴミの量は極端に減ったそうです。しかし高度経済成長を迎え、科学が発展して世界が大量生産の時代に入ると、段々とゴミの量や質が変化していきました。ちなみに、GHQのマッカーサーにより、感染症や寄生虫対策の為に屎尿の肥料利用が禁止されたのもこの頃です。ウ〇コは売れなくなりました。(人間のは)

まず、工業化に伴い冷蔵庫やテレビが一般家庭に行き渡るようになり、ゴミにガラスやプラスチックが多く登場してきました。また、戦時中の『産めよ増やせよ』の精神による人口増加がゴミ量の爆発的な増加に繋がっていきます。1960年にはカップラーメンやスーパーの商品トレイに発泡ポリスチレンが使われるようになり、焼却することで有害な物質を出すようになりました。東京都にある大規模ゴミ処理施設『夢の島』が出来たのもこの頃です。

紙コップやビニール傘、ジュース瓶など使い捨て商品がどんどん出回るようになり、平成元年には日本のゴミ排出量は約5000万トンまでに増大します。この時がゴミ量のピークでした。5000万トンってのはスカイツリーが1400本分くらいの重さ。それだけの量を一年で排出していたのです。

CO2排出量に伴う地球温暖化対策や、冒頭にご紹介したダイオキシン発生による公害対策も重視され、日本はゴミ問題解決の為にリサイクル法を制定しました。空容器を出す『資源ゴミの日』はこの頃から登場して来たのです。その後もリサイクル法はパソコンや使用済携帯電話など色んな品目が加えられ、現在に至ります。

平成初頭は粗大ゴミも無料で何の手続きもせず出せましたが、やがて有料化され、気軽に出すことが出来なくなりました。私が子供の頃は『粗大ゴミの日』になると集積所に冷蔵庫やら洗濯機やらが積み上げるように廃棄されていて、良いアスレチック場だったのでよく遊んでいましたね。一回だけ自動車が棄てられていることもありましたよ。今じゃビックリですね。

平成初頭まで、缶ジュースのフタはプルタブ形式と言って本体容器と切り離して開けるタイプだった。
当時の自動販売機周辺はプルタブがそこら中に落ちていたものだ。

現代のゴミ問題

令和の時代に入り、ゴミの総排出量は年間約4200万トンまで減りました。ただし、残り約20年で限界が来ると予測されている埋立地の問題や、国民全員がお茶碗一杯のご飯を毎日棄てている計算になる食品ロス問題など、様々な課題が残されています。また、ゴミの多様化に伴い問題も複雑化しています。

最近では、2020年7月から小泉進次郎環境相の発案によりレジ袋の有料化が各コンビニ、小売店で開始されました。その結果、レジ袋は年間3600万枚が削減され、CO2排出量も2200トン減少しました。しかし代わりに市販のビニール袋の売上が2倍に増加したり、エコバッグを悪用した万引きが増加するなど一概に良かったとは言えないのが実情です。

また先日、2022年春から新しくプラスチック新法として、有料化の対象となる品目を更に追加する検討案が提出されました。プラスチックの海洋投棄削減や環境問題に対する意識付けが目的とされていますが、コロナ禍における生活困窮者の家計を更に苦しめることになるのではないかと懸念も抱えています。

2022年春から有料化が検討されている品目の一覧。

世界でも問題になっているゴミ処理。どのような形になるにせよ、未来の子供たちにはキレイで暮らしやすい環境をバトンタッチしたいものですね。

イルルはよく女の子にゴミって呼ばれます