アフガニスタンの歴史と情勢を分かりやすく解説

2021年8月15日、アフガニスタンの首都カブールをタリバンが占拠しました。9.11に端を発するアメリカ軍のアフガン制圧も、アメリカ軍の撤退という形で20年の幕を下ろすことになります。

今日はアフガニスタンの情勢を、歴史を交えてなるべく分かりやすく整理してみたいと思います。

アフガニスタンってどんな国?

アフガニスタンは中東にある国で、パシュトゥン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など色んな部族が一緒になって暮らしている国です。言語も統一されていません。古代では仏教やヒンドゥー教が盛んでしたが、7~8世紀ごろからイスラム教の教えが広まり、今では99%みんなイスラム教を信じています。

国土は日本より広くて1.7倍くらい。しかし人口は約4000万人で日本の3分の1くらいです。みんなイスラム教徒なのでお酒は売っていませんし飲みません。代わりにインドで有名なチャイをよく飲んでいます。食べ物もナンをよく食べています。

後発開発途上国と呼ばれ、国の発展が一際遅れている国です。綺麗な水を供給出来ず不衛生なので平均寿命は50歳くらい。赤ちゃんも4人に1人は育つ前に死んでしまいます。小学校を卒業するのは3人に1人しかおらず、ほとんどの人が文字を読めません。10人に1人は無職です。

すごく貧乏なので大体の人は一日200円以下で暮らしています。農業がメインで外国に売れるのは主にドライフルーツ。あと違法に麻薬の密造。高度な技術力はありません。電気が通ってる市街も極わずかで、電車なんてもちろんありません。そんな世界ワーストレベルで貧しい国です。

アフガニスタンの位置。パキスタンを挟んで中国やインドの隣あたりにある国。

アフガニスタンの歴史

アフガニスタンはどうしてそんなに貧しくて遅れた文化なのでしょうか。ひとえに言えば度重なる紛争で経済が安定していないからです。これには世界の先進国の対立に巻き込まれた背景があります。

アフガニスタンは1800年頃に旧ロシアとイギリスの喧嘩に巻き込まれ、イギリスのものになってしまいました。インドを征服したいイギリスにとって、アフガニスタンのあたりは重要な拠点だったのです。アフガニスタンの人も当然抵抗はしましたが、概ねイギリスには敵いませんでした。勝手に国境が引かれてアフガニスタンの人の住処が分断されたりしました。

1878年に描かれた風刺画。アフガニスタンの王様を熊(旧ロシア)とライオン(イギリス)が狙っている。

1900年頃、そんなアフガニスタンに好機が訪れます。第一次世界大戦でイギリスが弱っていたので、独立戦争を仕掛けたのです。戦況は一進一退でしたが弱っていたイギリスは戦争が長くなると面倒くさいと思ってアフガニスタンを諦め、1919年にやっとアフガニスタンは独立することに成功します。つまり、自分たちの足で歩み出してからまだ100年くらいしか経っていない国なのです。

その後、みんなご存じ第二次世界大戦が勃発しました。アフガニスタンは事実上の中立国の立場を守り、戦争には加担せず上手くやり過ごしていました。ザーヒル・シャーという王様が上手いことやってました。

でもその後、国家転覆を狙って王様が海外に行ってる間に反乱が勃発。このクーデターは成功し、アフガニスタンは王様が支配する国から共和制の国へと成り代わります。ここでも国民は大きく疲弊するワケです。

ザーヒル・シャー国王。彼が統治している間、アフガニスタンは平和だった。皮肉にも世界は第二次世界大戦の真っただ中だった。

その後、政権を狙ってまた別の反乱が勃発します。ひたすらドンパチします。すると今度はそれを見兼ねてソ連になっていた旧ロシアがアフガニスタンに殴りこんで来ます。理由は自分たちが支配しているアジア諸国に悪影響があると困るからです。

ソ連は副首相を暗殺したり、地雷を埋めまくったおかげでアフガニスタンの子供が大勢死んだりしました。ソ連にアフガニスタンを支配されると困る中国とアメリカ、それにイギリスがアフガニスタン側に武器をたくさん配ったので戦争はもっと過激になっていきました。これは大国の思惑にアフガニスタンが踊らされた格好であり、代理戦争と呼ばれています。

さすがにこれはやり過ぎだと思った国連が殴り込みの3年後、ソ連軍の撤退を採択します。7年後の1989年にはソ連軍はみんな自分の国に帰りますが、政権を狙って反乱を起こしたアフガニスタン人は散り散りになりながらも散発的に闘争を続けます。

この闘争は長らく続き、いよいよ1994年になって反政府を掲げる武装組織タリバンが出現します。いわゆる反乱軍です。結成時はわずか20名の学生たちでした。タリバンとは本来は『学生』という意味なのです。タリバンは最初は少年ジャンプの主人公みたいなスゴイ強くていいヤツらで、誘拐された少女を政府軍の民兵から救ったり、横暴なヤツらをやっつけて紛争で混乱した秩序を回復したり、地元住民からは正義のヒーロー扱いでした。

しかし数年も経たないうちにタリバンは闇堕ちしてしまい、シャリーアと呼ばれるイスラム教の伝統的な法律を極端に解釈し、残酷な行為を行い始めました。これには地元住民は大きく失望し、国際社会からも非難の的となります。

占拠した遊園地のゴーカートで遊ぶタリバン。純真無垢な故にたやすく黒く染まってしまうのかもしれない。

タリバンがめちゃくちゃ強かったのは、アフガニスタンの支配を目論む隣国パキスタンから武器とお金をいっぱいもらっていたからです。タリバンは調子に乗ってしばらくアフガニスタンを支配していました。やりたい放題です。

アメリカ軍の進駐

タリバンはしばらく好き勝手やってましたが、やがてこのタリバンに近づく大富豪が出現しました。アルカイダというテロ組織を率いるウサマ・ビン・ラディンです。有名ですね。尚、アルカイダとタリバンは別の組織です。

ビン・ラディンはアフガニスタンの出身ではなく近くの国のサウジアラビア人でしたが、ソ連とかアメリカのことが超嫌いでした。ソ連はアフガニスタンに殴りこんで来るし、アメリカも1990年に始まった湾岸戦争に乗じてどんどんアラビア半島に入り込んで来たからです。彼は大国の異教徒が大勢やってきたことにものすごい危機感を覚えて、世界中でジハード(聖戦)と自称するテロ行為を繰り返すようになります。

ビン・ラディンは大手ゼネコンの家系でめっちゃ金持ちでした。日本で言えば清水建設の御曹司みたいなものです。毎年親から100億円お小遣いをもらってました。このように、お金持ちだしイスラム原理主義だったのでタリバンと気が合い、とても仲良しになります。タリバンの兵士を訓練してあげたりしてました。

しかし皆さんご存じの通り、ビン・ラディンは調子に乗り過ぎてやべーことをやらかします。9.11事件です。これによりアメリカはガチギレして本気でアフガニスタンに攻め込んで来ます。アメリカはビン・ラディンの引き渡しを要求しましたが、彼と仲良しだったタリバンはそれを拒否します。ガチギレしているアメリカはタリバンごとビン・ラディンをボコボコにしました。

無人攻撃機MQ-7リーパー。(リーパーは死神という意味)
ラジコン操作感覚でミサイルを打ち込める。アルカイダやタリバンの拠点を破壊して回った。

アメリカはビン・ラディン一味を排除した後もアフガニスタンに居座り、テロ活動を抑制しました。異教徒がどんどん入り込んできて仲間もガンガンやられるわで、タリバンはより一層アメリカのことが嫌いになりました。どちらも自分たちの方が正しいと思っているのが戦争です。

アメリカはタリバンをボコボコにした後、新しい政府を設置させ民主主義がアフガニスタンに広まってちゃんとした国になるように指導しました。お金もたくさんあげて警察の代わりをやってあげました。

アメリカとタリバンは20年ほどお互いしばらくバチバチやり合っていましたが、最強のアメリカには到底勝てないので2020年、タリバンはやっとアメリカと和平の道を望みます。そこでアメリカはタリバンと、他の国に迷惑かけずに大人しくしてるならアメリカ軍を撤退させてもいいよという約束をしました。ここではもうアフガニスタン政府の出る幕はなく、完全にアメリカとタリバンの間だけで話は進んでいきました。

アメリカの撤退

そして2021年、アメリカの大統領はトランプ氏からバイデン氏に代わりましたが、タリバンがしばらく大人しくしていたのでアメリカ軍は約束通りアフガニスタンから少しづつ撤退することにしました。アフガニスタン政府は強力な後ろ盾を失うことになるのでたまったものじゃないですが、どうしようもありませんでした。

「こんだけ長い期間助けてあげたんだからもういいでしょ。後は自分たちでなんとかしてね」と言ってバイデンはアフガニスタンからバイバイデンしてしまいます。

バイデンはそもそもアフガニスタン政府が好きではありませんでした。20年経っても一向にタリバンに勝てないし、貴重な資金と兵士を提供しても損にしかならないからです。アメリカなどがアフガニスタン政府に支援した費用は9兆円以上だと報じられています。ぶっちゃけアフガニスタン政府は無能でした。

2009年に撮影された写真。オバマ元大統領(右)、カルザイ元大統領(中央)、そして当時副大統領だったバイデン(左)。
バイデンとカルザイはアフガニスタンの今後について意見が決裂しており不仲だった。それとなしかバイデンの顔は冷ややかな表情に見える。

アメリカのアフガニスタン撤退は『米軍の敗北』として世論から批判されています。タリバンの専横に苦しむ人々をアメリカのヒーローたちが見捨てていいのか!という論調ですね。しかしバイデンからすれば、人道支援の名を借りていつまでもオンブにダッコなアフガニスタン政権にほとほと愛想が尽きていたのです。

そもそもアメリカ軍がアフガニスタンにやって来たのはビン・ラディンをやっつけてテロリストを抹殺する為であり、別にアフガニスタンの人々を救いに来たのではないのです。

タリバン進撃開始

超強くて怖いアメリカ軍が徐々に撤退するのに伴い、タリバンはどんどんアフガニスタンを支配下に収めていきます。わずか一週間で10の都市を占拠し、そこからわずか数日で34ある州都のうち、30を手中に収めました。

アメリカ軍はこの予想以上に早い侵略スピードに驚き、本来は8月末までに完全撤退するつもりでしたが予定を切り上げてアフガニスタンからとっとと脱出。そのままタリバンは侵略を続け、首都カブールを15日に占拠して現在に至ります。

どうしてこれほどタリバンは容易く政府軍を下すことが出来たのでしょうか。理由の一つとして、アフガニスタン政権がマジで無能だったことが指摘されています。アフガニスタンは色んな部族がいる国ですので、それぞれの親玉が軍隊や警察の主要ポストを占めていました。彼らは支援された費用を中抜きして懐に収め、ロクな活躍をしませんでした。

アフガニスタン軍には俗に『幽霊兵士』と呼ばれる、脱走したりサボってる兵士が多数おり、陸軍幹部ですら兵隊の正確な数を把握出来ていなかったとのことです。しかし幹部らは幽霊兵士の人件費をたっぷり中抜き出来るので、書類上にしか名前が存在しない兵士を水増ししてむしろホクホクしていました。

アフガニスタンの兵士たち。小学三年生程度の読み書きが出来るのは5%以下で、中には数字を数えられない者もいた。空軍はヘリや戦闘機を操縦出来るパイロットの慢性的な不足に頭を悩ませていた。

そんな腐敗体質が根底にあったので、政府軍の幹部はタリバンに簡単に買収されて土地を明け渡してしまいました。ここ一週間の快進撃の裏ではそんな裏取引が多数あったと推測されています。上司がそんなですから兵士たちもやる気がなく、自分の部族と関係ない土地で戦うことに疑問を抱え、ろくすっぽまともにタリバンと戦わなかったそうです。

このように、タリバンが易々と勝利した背景にはアフガニスタン政権の腐敗体質が関係しているのです。首都カブールが占拠された際にも、国のトップであるガニ大統領は我先にと国外へ逃げ出してしまいました。今回の結果はいわば、アフガニスタンの『自壊』とも言えるでしょう。

タリバン政権の恐怖

今回の一連の騒動でタリバンが政権を握ることになりましたが、アフガニスタンの人々は彼らを非常に恐れています。一体、タリバンの何が問題なのでしょう。それは彼らがイスラム原理主義であることに関係します。

彼らはイスラムの聖典コーランとハディースを極端に解釈しており、自分たちに都合のいいように歪めています。世界のイスラム教徒のほとんどが平和に暮らしている中、このように野蛮で粗暴なのはアルカイダやタリバン、それにISの人々だけです。いくつか例を挙げてみましょう。

女性差別

一番最初に思いつくのはやはり女性差別です。タリバンがカブールを占拠した後、女性は外を歩くことが出来なくなってしまいました。聖典コーランとハディースでは、女性は男性より劣るものとして定義されており、保護するべきであると書かれています。『逆らう女は叩いても良い』とも記述されています。また、女性は男性を誘惑するものであると定義されています。

この『保護しなければならない』『男性を誘惑するもの』という部分が問題で、タリバンはこの点を極端に解釈して女性差別を行って来ました。以下はその一例です。

  • 女性は外で働いてはならない。
  • 男の医師の診察を受けてはならない。
  • 学校で勉強してはならない。
  • 一人で外を出歩くと鞭打ちや殴打の刑。
  • 結婚前に男性と関係を持った場合、死刑。
  • 化粧品なんてもってのほか。化粧禁止。
  • 親族以外と握手してはいけない。
  • テレビやラジオに出演してはならない。
  • 明るい色の服を着てはならない。
  • ブルカと呼ばれる衣装で身体を覆い隠さなくてはならない。

じゃあ素直に言うことを聞いていれば手厚く保護してくれるのか…と思いきやそうではなく、手あたり次第に誘拐しては暴行、レイプ、強制結婚などを女性に対して行い、国際社会から批判を浴びています。タリバンにとって、女性の扱いは動物以下なのです。

カブール占拠後の記者会見で、タリバンは『イスラムの教えの範囲内で女性の就労や教育、それにメディアの活動などを保障する』と述べた。しかし長年続いた女性差別の慣習から簡単に脱却することは難しいだろう。

男も差別

じゃあタリバンは男にとっては居心地のいい組織なの?と思うかもしれませんがそれも間違いです。例えば、アフガニスタンには古くからバチャ・バジと呼ばれる、若い男の子を性奴隷にして飼う風習があります。

イスラム教の聖典では同性愛は禁忌されているので、タリバンはバチャ・バジを固く禁じていましたが、アフガニスタン政府軍の警察関係者などを買収する為にこの制度を利用。可愛い男の子を権力者に送り付け、麻薬漬けにしてタリバンに逆らえないようにするのです。イスラムの教えを広める為に権力を強化する、その為にイスラムの教えを破る…何ともチグハグな話ですね。

彼らも女の子と同じく誘拐されて教育され、否応なくタリバンの"魚雷"にされます。バチャ・バジは髭が生える頃の年齢になると棄てられるか、自爆テロのコマにされます。元バチャ・バジの人々はイスラム社会の中では同性愛者として非難される為、解放されてもまともに生きていけないとか…。

また、差別とはちょっと異なりますが、タリバンの中にも『穏健派』と呼ばれる人々がいます。彼らは武力ではなく政治に訴え、正式な選挙を通じて政府から政権を勝ち取ろうとしました。アブドゥルサマド・ハクサル元内務次官などです。しかし彼らはタリバンからは政府にすり寄る裏切り者とされ、政府の中でもタリバンの手先として反発されました。結果、どちらの勢力の手によってかは分かりませんが、彼らは暗殺されてしまいました。

バチャ・バジと呼ばれる男の子の性奴隷。女の子の服を着せられ権力者のオモチャにされる。

今後のアフガニスタン

タリバンが首都を占拠してから4日後、8月19日にアムルラ・サーレ第1副大統領が、国外逃亡してしまったガニ大統領に代わって暫定大統領に就任する旨を発表しました。

サーレ暫定大統領はタリバンと徹底抗戦する構えを発表しています。敗者復活戦といったところでしょうか。どちらにせよ、アフガニスタンの人々が血なまぐさい戦争から解放され、平和を謳歌出来る日々はまだ遠い未来になりそうです。

日本に生まれて良かった…